こんにちは、音葉です。
2025年の10月には、ショパンコンクールが開催されますね。
少しでもショパンへの理解を深めるために、私が以前作ったショパンの年表をここに写してみたいと思います。
実際は、ノートを4分割して、左端に年、作品、ショパンの人生、世界の歴史と構成してあるので、どれだけ再現できるかわかりませんが、試してみます!
今回は、ショパンが生まれた1810年から、19歳の1829年までみていきます。
ショパンの人生1810-1829
ショパンが生まれたのは1810年3月1日。
ポーランドのジェラゾラ・ヴォラに生まれる。
父のニコラスがワルシャワの中高教師になったことがきっかけで、ワルシャワへ生後7ヶ月で引っ越す。
父は平民家庭の出身で、階級制度がまだまだ厳しかったにも関わらず、語学(当時はヨーロッパの上流階級のこいう用語だったフランス語を教えていた)や音楽が堪能で、フルートとヴァイオリンはプロ並みだったようです。
1814年(4歳)
母は、ピアノと歌が上手で、4歳になったショパンは、母と姉からピアノを習い始めます。
1816年(6歳)
音楽家ヴォイチェフ・ジヴニーにピアノを習い始めます。
この先生は、ヴァイオリニストで、オーストラリアで修行をし、プラハで宮廷楽長を務めた後、ワルシャワに移って音楽教師になりました。
当時はまだ知名度が低かったバッハを音楽の源、として敬愛し、モーツァルトの天才性をショパンに伝えたと言われています。
空いた時間があれば、ショパン家に行って無償でレッスンをし、運指の特訓や退屈な教則本ではなく、芸術そのものを教えたそうです。
ショパンが持っていた即興の才能を妨げず、できるだけ自由に弾かせつつも、間違いは正し、古典音楽の基礎をしっかりと伝えたようです。
1817年(7歳)
ジヴニーと父によって、初めてのショパンの作品が五線譜に書かれます。
ポロネーズ12番 変ロ長調
1818年(8歳)
ワルシャワで初めて、V.イローヴェツの協奏曲5番ホ短調を公開演奏
1821年(11歳)
ジヴニーに自筆で書いたポロネーズを献呈。
自分に教えられることはもうないと、次の年にはショパンのピアノレッスンを終了。
1822年(12歳)
ワルシャワ音楽院を創設した作曲家エルスナーから個人的に作曲を学び始める。
1823年(13歳)
ワルシャワ中等学校に入学し、16歳まで過ごす。
スカルベック伯爵夫人の招待で、夏を生まれ故郷のジェラゾヴァ・ヴォカで過ごす。
1824年(14歳)
夏休みを家族と離れて、シャルファニャ村のクラスメイトの家で過ごす。
マズルカ 変イ長調
1825年(15歳)
ポロネーズ8番 ニ短調 Op.71-1
1826年(16歳)
夏に、母や妹たちとシレジアの保養地へ行き、療養する。
秋から、ワルシャワ音楽院へ転校。
マズルカ52番 変ロ長調
マズルカ53番 ト長調
ロンド ヘ長調 Op.5
ドイツ民謡 スイスの少年による変奏曲 ホ長調
4手のためによる変奏曲 二長調
3つのエコセーズ Op.72-3,4,5
1827年(17歳)
4月に妹のエミリアが結核で亡くなる。
ショパン一家は、クラシンスキ宮殿に引っ越す。
秋に、ショパンは自分用の音楽室をもらう。
ノクターン19番 ホ短調 Op.72-1
マズルカ49番 イ短調 Op.68-2
葬送行進曲 ハ短調 Op.72-2
コントルダンス 変ト長調
フーガ イ短調
歌曲消え失せよ ヘ短調 Op.74-6
1828年(18歳)
演奏会用ロンドクラコヴァイアク ヘ長調 Op.14
ピアノソナタ1番 ハ短調 Op.4
ポロネーズ9番 変ロ長調 Op.71-4
ロンド ハ長調 Op.73
1829年(19歳)
夏に学校の友達4人と、ウィーンでコンサートを開き、成功する。
後に、歌手のコンスタンツィアに恋をする。
ポロネーズ16番 変ト長調
マズルカ54番 二長調
ワルツ10番 ロ短調 Op.69-2
ワルツ13番 変ニ長調 Op.70-3
ワルツ15番 ホ長調
変奏曲 パガニーニの思い出 イ長調
ピアノ三重奏曲 ト短調 Op.8
歌曲 願い ト長調 Op.74-1
歌曲 好きな場所・・・ イ長調 Op.74-5
ピアノ協奏曲2番 ヘ短調 Op.21
参考
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まとめ
今回は、ショパンの人生Part1についてみていきました。
20歳になるまでに、すでにこれだけの曲を作曲していると考えると、やっぱりさすがだーと思ってしまいますが、ショパンは、かなり短命でした。
少しでも、ショパンの人生を理解する参考になれば嬉しいです!
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